生活を生きるということ

「いえーい」を口癖に生きると、なんとなくいえーい。

 

ぬるりと社会人生活も2年目に突入した。勤務地は変わったものの、家も仕事の内容も変わっていないので、そこまで新鮮な感じはない。相変わらず通勤は怠いが引っ越す気にもなれない。赤羽が好きなのもあるが、なかなか今の住居より好条件なところはないのでは、というところで。

 

そんな中、ボーナスが入ったので、パラブーツのシャンボードを買った。ウン万の革靴を買ったのは初めてで、わざわざ青山の本店まで出向いて買った。後悔はしていない。履き心地もいいし見た目もいい。まだ若干馴染んでいない感じがあるが。

あとは家具を追加した。前々からデスクが欲しかったので、赤羽のニトリに出向いて買った。快適だ。食器類も揃えている。まだ調理器具を買うまでに至っていないが、小さめのボウルと、大きめのオールドグラスを買った。ボウルにナッツやチョコレートやドライフルーツを盛り、それをアテにニッカのフロムザバレルを飲んでいる。家飲みのお酒は、あまり高いものは買わない。器の偉大さを思い知った。ナッツも袋から直喰いするのと、器に盛るのとでは違って捉えられる。今までそういうことを意識せずに生きてきたが、改めて大事なんだなぁと思う。バーで出てきたグラスに難癖をつけていながら、家庭のそういうところは疎かにしてきたことは滑稽だ。と書いて気づいたが、僕のこの孤独な一人暮らしにも、やはり「家庭」はあるのだと。ゆっくりと息を吸って、歩みを緩めることで得られる余裕染みたものは、家庭の作り方、過ごし方でも得られるのだと。

 

読まれることを前提にしていない改行と、読まれることを前提にしている公的言語。僕の表現は矛盾だらけだ。矛盾はしてはいけないものだという声もあるだろうが、ただそうある、自然だというだけで、どうして矛盾を一切携行せずに生きられることがあるだろうか。

 

明日も眠い目をこすり、現場に出向くだろう。1秒前の自分の想像通りに生きるしかないというこの状況が既に奴隷と言って差し支えない。もっと分断されて、コマ送りで、連続性なく、関連もなく、依存関係もなくって良いはずなのに。むしろそうあるべきとも。いや、そうでもないか。

 

集中しているこの時間だけは、何となく喪失感なく居られる。しあわせだろう。

 

 

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病める無限のブッダの世界 ― BEST OF THE BEST (金字塔)

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どどっどどんてすだますた