お題スロット1

お題「居酒屋で頼むもの」

 

即興小説的な趣がある。

居酒屋で何頼むかは行く居酒屋にもよるでしょ、みたいな雑な前置きはさておき、

最近瓶ビール派になった。

①瓶ビール

銘柄にこだわりはなく、大瓶をグラスに注いで飲む、という一連の動作が心地よい。

温度も冷えてなさすぎておいちい。カワサキの影響です。御免なさい。

 

おでんは年中うまい。酒にも合う。何よりもボウモアに合うのだが、おでんを置いてるバーなんて1件しか知らない。

②おでん

こんにゃくが好きだ。大根が好きだ。ガンモが好きだ。はんぺんもうまい。ちくわぶはあんま好きじゃない。白滝もうまい。牛すじは言うまでもない。からしを出汁に溶いて少し舐めるとうまい。(無作法ですみません)

 

③鮭ハラス

いうことがない。うまい。

 

④ポテサラ

出てくるのが早い。うまい。

 

⑤梅酒ロック

最近、梅酒のロックなら無限に飲めることが判明した。無限に飲ませてくれる人募集中です。

 

とまぁ、思い出してみると意外と決まった定番はなく、思いつきで頼んでることが多い。社会人になって人と飲むことが増え、居酒屋に行く機会ばかり増え、バーに足を運ばなくなっていることが辛い。来月は絶対バンダバーグへゆこう。一人で。

以上、タッチタイピングの練習でした。

 

Δ

リクワイア・レクイエム

自分の人生のシンボル、テーマ、まぁなんでもいいんだけど、自分の人生を一言で表すと、的な問いに対して、僕が真っ先に思い浮かぶ回答が貧困だ。

 

こと特別な意味を持たせずに「金がない」くらいの意味だと思っていたが、存外と様々な意味を持つ言葉だった。wikipedia覗いてみると、かのアマルティア・センたまが「潜在能力を実現する権利の剥奪(a capacity deprivation)」と定義している。まぁ小難しいことは置いておいて、興味がある人は読むと面白い。

https://ja.wikipedia.org/wiki/貧困

ここでは貧困を漠然と「金がない」と定義する。

幼少期から僕は「うちは貧乏だから」というありふれた接頭語とともに育った。

とはいえ、特段食うに困ったこともなく、ゲームもあったし塾も行っていたし、高校は私立だった。大学の学費も親持ちだったし(奨学金は借りてたが)、なーんだ、普通じゃん、といった具合だ。

じゃあなんで貧困を強く意識するのか、はよくわかっていないけど、おそらく周りに金持ちが多かったことが原因、な気がする。相対的に貧困だった、今も。

心が貧しい、という表現は無関係な気もするが、金金言われて育つと、色々とがめつくはなるよね。

という、まぁなんでこういう話を書こうかと思ったのは、特段理由があるわけではないんだけど、一つはHIPHOP、もう一つは実際に人と会ったりして思うところがあるから。

一つ目は音源の記事に託したいので割愛。後者について。

一時期メディアで、奨学金が返せなくて風俗で働く女の子、みたいな存在が話題になった。奨学金返すの辛い!と声高に言い放つ若者が映る画面に、言いようもない嘲笑を向けたのが記憶に新しい。色々と言い分はあれど、借金してまで大学・高校行くのであれば稼げるように振る舞えよ、みたいに思ったことはある。(強烈なブーメランだが。)

これも一つの貧困の形。実際、昼間はWeb系のベンチャー、夜は風俗で働いている子を知っている。理由は知らないが。

spotlight-media.jp

東京は家賃が高い。7万なんてザラで、むしろ安い方、みたいな額面だ。

そのくせ、給与は高いわけではない場合もある。結果として貧困、みたいな。これも貧困。

上手くまとめられないんだけど、基本的に金や権力は、それを持ってる奴のところに集まるんだから、貧乏からノーリスクで一発逆転!みたいな謳い文句に眉をひそめたくなるのは共通理解かと思う。金がない奴はどんどん金がない状態に、なっていくのは摂理だから、無理が通れば道理が引っ込む的な論法で、貧困の度合いは増す。

結論、だからどうなんだ、ってものはないにせよ、最後に、東京タラレバ娘で倫子さんが書いた脚本にあった、

--東京で、私は透明人間になってしまった。

--自分でも、自分が見えなくなっていた。

というありきたりな引用とともに幕を閉じたい。

貧困と紐付くもう一つのキーワードは孤独だ。

僕が田舎から東京に出るとき母親に言われた、

「都会は怖い人がいっぱいおるでな、気をつけるんやで」

という言葉が導く孤独と、それを埋め合わせるために代償を払って群れる誰かと誰か。

上っ面だけキメて楽しいのかどうかは分からんが、それも一つの生き方、とぶん投げるのも癪だ。坂口安吾が言った「孤独は魂の病だ」という言葉の孤独と現代の孤独との間には、少なくない溝があるように思いはするが、それも含め、やはり孤独は魂の病なんだろう。社会的動物だとか、なんとか言って、そういう習性を利用して人を食い物にする連中が嫌いだ。

 

Δ

下がりたがりの高い高い/謀り許りのニライカナイ

先々週にCDコレクトを再開してから既に11枚増えている。異常だ。

中古も多いのでそこまでの支出じゃないにしろ、金は飛ぶ。

こういう収集の仕方をしていると、1枚1枚をじっくりと聴かなくなる気がするが、存外とそうでもない。やる気の問題だ。

また音源の記事も書きたい。

 

今日は珍しく占いに行った。僕が住んでいる赤羽という街には、赤羽の母なる人がいるらしく、会いに行ったという表現の方がしっくりくる。占いは承認欲求を手軽に満たしてくれるのでお勧めだ。安くはないけれど。

 

あとは、4月から横浜での勤務が濃厚になった。いろいろあるのだ。

今のところ引っ越す予定はないが、単純に通勤時間が長くなるのが苦痛だ。しかもJR。

どうしようもない。

最近住環境の整備に謎に意欲的だ。今日は100均でボウルとスプーンを買った。シリアルが異様に食べたかったからだ。普段食パンを食べていて、なんだか味気ないなぁと思うことが増えたので、次はジャムとティースプーンを買おう。ビールグラスとウィスキーグラスしかなかった我が家の食器事情は、今まさに大きな躍進を遂げようとしている。(続)

 

とまぁ、東京に越してきてそろそろ1年になるわけだが、特段何も変わっちゃいない。

少しばかり仕事のやり方を覚えたくらい。散歩していると越してきてすぐの、期待と不安と不安と不安が入り混じった匂いがする。上野ではもう桜が咲いている。紛れもない春だ。夜が寒いところ以外は春だ。花粉症の方は辛いだろうが、過ごしやすい気候だと思う。

「春が来る」という表現は押し並べて良好であるように用いられる。

冬との対比、夏への前兆、秋の向かい側

四季と聞いて連想されるのは真賀田四季だ。真賀田四季と聞いて連想されるものはない。西之園萌絵と聞いて連想される個人はいるが。犀川創平もいないか。

小説は読まなくなったが、吉田篤弘が絵本を出していたので軽く読んだ。やはり好きな文章だ。僕が到底書けない文章だから。

 

いろんなことについて、クソどうでもいいので、流れる音楽とこのキーボードを打つ時間だけは確保したい。最後の砦だ。恥ずかしいことではない。恥ずかしいことじゃない。 

 

mind tuner #3

mind tuner #3

 

 

Δ

人肌を感じる文章が嫌いだ

決算賞与が予想を上回る額だった。すごい。

 

MW周りの知識が欲しい。jbossとか書籍出てるけどハードル高すぎるね。

 

昨日はカイシャのイベントが重なってたので忙しかった。

久しぶりに飲んだ。気がする。次はあのやばそうなボウモア飲むぞ。

 

今日は中古のCDを買いに池袋のディスクユニオンへ行った。

新品1枚と中古5枚で3000ちょい。いい買い物ができた。

ずっと音楽かけて、家でネットサーフィンしてたい。その為には働かなくちゃいけないなんてなんて本末転倒。婚活面倒。論駁健康。論客絶望。

 

Libroのオトは、ずっと聴いていられる心地よさがある。

BOSSの言葉には力がある。月並みな言葉だけど。実際そうだ。

月並みな言葉たちを選んで空気に乗せることでお金がもらえるシステムが労働の一部にはある。月並みじゃない言葉を乗せたら怒られる。「わかんない」ってね。

まぁ当たり前の話だ。独我論じゃ仕事はできないし、私的言語では何も進まない。

うまーーーーーーーくやろうぜ兄弟。道は明るい。日々は語り得るのだ。

晩御飯に買ったサラダチキンを食べようか。最近フライパンが欲しくなってきた。

あたたかいものが食べたい。さして美味くなくていいから。

 

Δ

 

消費行動それ自体という消費行動

CDを買った。多分3年ぶりくらいに。

赤羽駅東口におそらく唯一あるCDショップにポスターが貼ってあったが故の衝動買い。ぶっちゃけiTunesで気に入った曲を1曲250円で買うのがコスパはいい。

CDはスペースを食う。書籍もそうだ。

そのデメリットを補うという面が、iTunesであったり電子書籍であったりには在る。

利便性を重視するが故に失われるのは何か。

多分何もない。便利で在ることとトレードオフの関係にあるものは、恐らくない。

詭弁としてでっち上げることは可能だが、実際的に箇条書きできるものでもない。

ここは、オブジェクト派として「趣」みたいな曖昧なところに救いを求めたところではあるが、やっぱそこまでメリットとして確固たるものでもない。

ということでそのあたりは言外に託そう。これは、「本当のこと」だから、ヘミングウェイも起こらないはずだ。

 


KREVA - 908秒で分かる「煩悩盤」

 

ぶっちゃけKREVAでもU2でも吉幾三でも何でもよかった。

ただCDが買うという消費活動をしたかっただけだ。しかも、ネットじゃなく店頭で。

これに共感してくれる人はウマが合いそう。

 

嘘と煩悩 (嘘盤<初回生産限定盤>)(CD+DVD)
 

 

まぁ、若干セルフボーストが必要な展開になってはいる、というだけの話。

 

今日は連れの東京マラソン出場に際してマネージャーやってきたので疲れたぜ。

3月も怒涛の月になりそう。いい加減浪費癖をまずは撤去しよう。

最近風呂が好きだ。という記事も書きたいし、PUMAのスニーカーの記事も書きたい。

NBの247の記事も書きたい。

 

--勝手に重い荷物負ぶってる

--背負い込んでる 追い込んでる ドンドン

--それが本望 って それ本当?

 

リード曲「嘘と煩悩」をiTunesで流す。

その奥にいるのは俺を嘲ってるカワサキだぜ。

 

 

Δ

これから

エン転職のエージェントと面談してきた。結論としては現職に留まるってのが「最良」の選択ぽい。まぁ確かに一回くらい上から下まで案件通して成功させたい気持ちはある。言われてみれば。

とまぁやっぱ編集者・ライターへの未経験での転職はかなり厳しいそう。キュレーションメディアの規制も相まって。

と、ここまでは正攻法の話。

まぁ直接殴りこむのが一番早そう。

ともあれ、現実突きつけてくれたおねーさんには感謝。

ということで約二ヶ月の時を経て帰省してます。年末年始は仕事で帰れず、1月は案件バーストしたせいで帰れず、ようやく落ち着いた?ので。

いつものようにDSPで飲みます。いつもと違うのは大阪いくとこかな。

Creepy NutsがEP出しましたね。EPがなんなのかよく分からず書いてます。「未来予想図」

--「まっさきに槍玉、あげられんの俺かな」

ここ部分、R-指定くらいになると踏んで当たり前なので、「槍玉(aiaa)」と「俺かな(oeaa)」でそんなに踏めてないとこが気になった。踏んで当たり前なので、そこは韻を捨ててまで通したかった意味なんやと。

 

Δ

 

 

なんかこう、音楽が当たり前なアクセとして

高校時代のクラスメイトが言っていた、音楽と時間は結びつく話と土の三大欲求の話。

後者の方は詳細は忘れたので、市川くん教えて。

さて、過去、良い悪いは別として、過渡期とも言うべき期間に聞いた音楽は一興だ。

僕の場合は研修時代(具体的には2016年4月〜6月)、SOUL SCREAMばっか聴いていていて、研修は辛かったので、今でも聴くとウッとなるあの感じ。

今使っている最寄駅とは別の駅、駅から自宅まで乗るバス。横切るガラの悪いコンビニと都営住宅。何が立つかも分からない空き地。気分で卒塔婆が揺れる墓地。俺の街。

誰しもそういう曲ってあると思う。なんだ、元カノが好きだったとかなんかそういう色がついた曲とは少し違うが、時間に色をつけてくれる曲。

こういうのなんか名詞化されてそうだな。知りたくないけど。

この話を始めると、どうしても話題に挙げなきゃならない曲がある。

THA BLUE HERB 未来は俺等の手の中

www.youtube.com

出会いは連れの連れがカラオケで歌ってて、いいなと思って開いたYoutubeで再生ボタンを押したところ。

まぁ別に、ヤバいって言えばいいのか?みたいな話だ。

#希望は今の俺にはまるで他人事だ

他人が書いた歌詞を書くのは恥ずかしい。

中学時代、湘南乃風の何かしらの歌詞を下敷きに、嬉しげに書いていたあの子とレベルは変わらない。ただ、次に書くソースコードコメントアウト

###未来は俺等の手の中###

って書きたくなるほどには。

奴隷の鎖自慢はここでは描かないが、それに近い心境にはある。

結果、不幸であることでしか自分を擁立出来ない人種、その中の一人であること。

もう23年も生きてきて、何もしていないのに、何かできるんじゃないかとか。

KOOLだなんて言えない。まぁええやん。penetrate

 

多分、僕と同世代、ないし少し上の代から、音楽は生活の中に当たり前のものとして埋め込まれていた。ただ、初めて買ったCDの話題、MDに好きな曲だけを入れられる感動、SDカードにポルノグラフィティの曲を入れ、半角カタカナで曲名まで入れてかつ持ち運び出来る感動。数タップで手に入る新曲、数タップで掴める過去の名曲。

別に音楽業界の話はしていない。消費されるコンテンツたちを生み出した親心を考慮できるのは誰だ、というお話。

 

Δ