In the Air, We=I live.

常に狙うは超文法 故に与える興奮を 癖になる程標準語 プレイするのは脳運動 

海辺でハンバーガー/挫けてガンダーラ

世間はGWで盛り上がりを見せてはいるものの、私はといえば昨日は半日出勤で、

今日は15時まで寝るという通常運営。ただ、明日休みで2日間働けば4連休(多分)という恵まれた時間感覚が、確実に私に精神的な余裕をもたらしてくれていることは言うまでもない。PFUのキーボードが心地よい。

レコードボックスに取り込む作業の傍ら、つらつらすることにした。

 

「クサイ台詞」と言うものがある。

台詞より科白って書いたほうがいいか。この辺の妙が文語体にはある。

そしてアニメUN-GOに登場した自称・小説家のスタンスである、「小説といっても原稿に書くのではなく現実に書く」。

 

人生で小説を書くと言うこと。それはどう言うことか。

アニメではなんとなく、箱庭思想的な感じで現実の人物を操る、的なニュアンスだったような気がするが、最後に見たのが6年前くらいなので覚えていない。そう言うことにしておく。

ただまぁ仮に私が人生で小説を書く、と言った場合、些か実現性が低い。

心理学めいたものに対する知見もなければ、交渉や説得なんて門外漢甚だしい。

学生の頃は「この人はこう言うことしか言っちゃダメだ」みたいは考えがそれに近いような気がしていたが、単なる押し付けにすぎない。

???「お前の勝手なイメージを俺に押し付けるな!」

ではどうするか。セルフ・コントロールだ。

自分がコントロールしうるのは自分しかない。本当の意味でね。

DV的に支配することは出来ても、それは本当の意味でのコントロールではない。

今日まで自分の言うことを聞いてくれた人が、明日以降も言うことを聞いてくれるとは限らない。平易な言い方をするとこんな感じだが、要は他人と言うブラックボックス以外になり用がないものの、ほんの少しの未来と今までの挙動が合致すると過程できる妥当性が存在し得ない。

#それっぽい言葉を使っていますが、論理破綻甚だしいのでニュアンスだけ伝われ。

とどのつまり、会話の中で自分自身でパンチラインを落とすことが人生で小説を書くことだ。印象に残るような物言いをする、とか、「それっぽいことを言う」と言った類の行動を指す。ただ、これが出来る会話の相手と、そうじゃない会話の相手がいる。

私が勝手に思っている親密度みたいなものかなぁと思っていたけどそうでもないらしい。初対面でも出来る人はいるし、小学校からの付き合いとかの奴でも出来ない人もいる。

じゃあその条件は何なのか。

言語化し難いのだけれど、「そう言う話が出来る人」と言う何で指示語なんだよ的な答えにたどり着く。たどり着いていないけど。

じゃあどう言う話か。表面的でなく、具体的でなく、空か海のどちらかに属し、アーキティクチャかオーガニズムのどちらかに属すような話だ。

これと合わせて、自分以外の何かに伝えるための言葉と、そうでない言葉がある。

ウィトゲンシュタイン的にいえば公的言語と私的言語と言う表現になるのか。

もちろん私的言語よりの話だ。言うまでもない。

ここまで取り留めなく書けるのは一種の才能だと信じたい。ちゃんとしたレポートなら明らかに落第点ものだが、残念、ここは個人のブログ。伝わる人にだけ伝わればいい。

その点、音楽は素晴らしい。歌詞はどうあれ、曲そのものは国境を簡単に超える。

まとめると、こう言う話ができる人と飲む酒は美味しいし、楽しい。

 

小さい頃は数字を見ない生活がしたい、と思っていたけど、今となっては電子機器を見ない生活がしたい。あんま長続きしなさそうだけどね。

 

ELECTRIC UNIVERSE (Expanded Edition) 1983

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