In the Air, We=I live.

狙うは超文法 与える興奮を 教訓を説く前にNo look own

秋立ち

夏ももう終わりを迎える。
誕生日である8月8日が、暦の上での立秋であり、今日から、高かった日も段々とその落下速度を早めて行く。夏が終わる。学生として、親の扶養にある最後の夏が終わる。今年も、花火を見に行っていないし、夏祭りにも行っていない。海にも行っていない。特段の非日常感もなく、日常を謳歌し切った。悲しい訳でも、況してや哀しい訳でもない。就職活動に身を投じ、実りはしなかったが最後まで「投げて」みた夏だった。来春からは東京に住む。悲願のコンサルタントとしての就職。不安があるといえば嘘になる。「あるといえば」。東京に住むという実感はまだないものの、かけがえのない友人の存在が心強い。自分がどうなって行くのか、楽しみで仕方が無い。田舎育ちで世間というものを知らず、これと言った技能、能力もなく、のうのうと親の脛を齧り続けた自分との決別だ。大学院進学と就職を悩んだこともあったが、そんなことは遠い日の様な錯覚を覚える。親の扶養から外れるということの意義、また、その大きさを感じ、就職に踏み切った。

彦根に来てから20、21、22を迎える日は、3回ともDESPERADOで過ごした。
20歳の俺は21歳の俺の姿を想像してすらいなかったし、21歳になった時の俺が思う、「22歳のぼく」は22歳になった時の俺の姿とはかけ離れて居た。こうやって年単位で見ると、かなり「面白く」は生きられている様な気がする。来年も、23歳を迎える俺は、今の俺の想像とは違う姿であって欲しいし、ありたいし、あらねばならない。
俺の22歳は、ボウモア15年とドライフルーツという最高の組み合わせで始まった。来年からは、おそらくDESPERADOで過ごすことは出来ないが、これが親離れと言うものか。と言う感じで。
DESPERADOのマスター、奥さんは、年齢的に僕の両親と近しいので、何と無くではあるものの、親としての役割を押し付けている側面があった気がする。楽しけりゃ何でもいい。

何故こんなことを書こうと思ったのかは分からないけれど、22歳という一つの節目、人生における分りやすい節目の一つを迎え、この"ぼうぼう"とした鬱屈さを、言葉に落とし込むことで少しでも緩和させるためなのかもしれない。

どうでもいいがエアマックス95の20thアニバーサリーモデルを買えなかったことが未だにつらい。

煙草はアメスピターコイズからラッキーに戻した。

祖母からの誕生日祝い金は就職活動の交通費に消え、母親からのものは生活費に消えた。

唯一残った、形として残ったプレゼントは、フォロワーさんから頂いたアイコンだけだった。アイコンを頂いたうれしさも当然あったが、途絶えてしまったと思い込んでいた繋がりが、存外と、存外と近しい所にあったということが判明し、非常に嬉しかった。非情なまでに嬉しかった(*^o^*) なんだこれ。

バイト先の有線で祝ってもらったことも、すごく嬉しかった。

Twitterで、LINEで祝ってもらったこともすごく嬉しかった。

まぁ、何だ、誕生日を祝う文化自体に疑問を抱くこともある。しかし、誕生日を祝ってもらえる、ということが、存在そのものを承認されているようで。学校のプール大の承認欲求に、2Lペットボトル10本分くらいは、「承認」という物体が注入されたような気がした。気がする。

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