こんばんは。
やっぱね、小5の時RIP SLYMEと布袋寅泰のマッシュアップ「BATTLE FANKASTIC」聴いたときの衝撃が21になった今でも残っていて。
加えてバズーカの高校生ラップ選手権見て。
ラップってすげえなと。
エモい(よくわかってない)。
今日は9時から部活して14時から21時までバイトして、休憩の時間にコンバースのオールスター買いました。イオンブランドのライトミールも10個478円で買ったのでしばらく困らんでしょう。クリスタルガイザーも4ダース置いてあるしね。
明日は15時から彦根の大会の片付け手伝いに行くだけだし久しぶりに余暇時間の多い日だ。明後日がウィスキー検定なので勉強しますけどね。検定終わればとりあえず一息つけます。もうちょいっすわ。
オールスターの話だけど、3月に今のとこでバイト始めてからFOOTWEAR売り場に配属になり、おぼろげに靴に興味がわき、NBのMNL574、マックスエッセンシャル、マックス93、NBのMRT580、マックス90EM(NIKEiD)まで増えて、ハイテク、レトロランスニーカばっか目が行っていたわけですが、一足くらいローテクっとくかということで購入。
ハイカットなもんで、スニーカというよりはブーツに近い。履き心地云々はやっぱハイテクよか劣るし、完全にゴム底の上に布が生えてるくらいの感想ですが、これはこれで乙なもんですな。このまま革靴にちょっと足突っ込んでみようかdouble meaning
レトロラン、マックスがランニングシューズをルーツに持つのに対して
オールスターやジョーダンはバッシュルーツなんでその辺に好みの境界があるっぽいっすね。
世界平和の話。
高3で突如思い浮かんだ世界平和。
そこに具体性を持ち込むのにそこそこかかりましたね。
大学1~2年のころは(ぼくの)世界(の)平和(平穏)くらいの省略を伴って形作ろうとしていましたが、ここにきて「言語コミュニケーションの伝達性」に関する問題とつながったような気がします。
今ゼミでやっている「正義のアイデア(アマルティア・セン)」の第9章で出てきた「合理性」と「理にかなっていること」の条件の違いに他者の視点を考慮するかどうか、みたいな話があって。
正義ももちろんそうだけど、完全な独我論をもってして生きる覚悟がないのなら、(ぼくの)世界(の)平和とか言ってられないわけですよ。
正義は世界平和の手続きの一つだとすれば、ここに答えっぽいものを求めることに拒否できる要素はないかなと。
だけれども、他者の視点なんてどうやって考えろと。話そう、他者と。
言語コミュニケーションにおける言葉(とりわけ抽象度の高い言葉)の伝達性の低さに関しては割と肯定的立場を採っているので、そこの改善が正義の要件に入ってきてもおかしくはないかな。
じゃあどうするか。困難は分割しましょう。
比較的抽象度の高い「言葉」のフレイムワークを細分化していけば、少しは伝達性に関してましになるのではないかな。とか。ex.包括的結果と最終的結果
そうなると或る集団に限定して言葉の表象するところの摺合せを行っていくと。
相変わらずガバガバではありますが、一筋の光明のようなものが、さもありなん。ん?
最近は他人に自意識のようなものを認めるようなことをしているような感じです。
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